『人造ナノ材料のための環境・衛生・安全面での研究ニーズ』報告書の概要

 

NEDOワシントン事務所
松山貴代子
2006年10月5日

国家科学技術会議(National Science and Technology Council = NSTC)技術委員会のナノスケール科学工学技術小委員会(Subcommittee on Nanoscale Science, Engineering, and Technology = NSET)が2006年9月21日に、人造ナノ材料が(engineered nanoscale material)環境・衛生・安全面に及ぼし得るリスクを理解・管理する上で必要な研究・情報ニーズを確認する報告書 『人造ナノ材料の為の環境・衛生・安全面での研究ニーズEnvironmental, Health, and Safety Research Needs for Engineered Nanoscale Materials)』 を発表した。

ナノテクノロジーの環境・衛生・安全面(environmental, health, and safety = EHS)での研究ニーズに関しては、既に幾つもの報告書(注:1)が刊行され、ナノテクノロジーに関連する利益やリスクの適切な評価・管理に必要な研究について価値ある見識を提供している。今回発表された報告書の作成にあたり、NSETのナノテクノロジーの環境・衛生影響に関する作業部会(Nanotechnology Environmental and Health Implications Working Group:以下「NEHI作業部会」という)(注:2)は、こうした報告書の提言や連邦政府規制機関からのインプットを十分に考慮したという。

NSET発表の報告書は、商品や消費財、治療や環境用途、および、リサーチに利用される人造ナノ材料(注:3)の潜在的リスクに係わるEHS研究・情報ニーズを連邦政府のために確認することを主目的とするもので、(1)研究機器、測定学(Metrology)および、分析方法;(2)ナノ材料とヒトの健康;(3)ナノ材料と環境;(4)衛生および環境調査(Health and Environmental Surveillance);(5)リスク管理方法という5つの研究分野について、該当する連邦政府の現行活動を詳述し、NEHI作業部会メンバーの意見が一致した優先的研究・情報ニーズを列挙し、確認されたニーズに対応する将来の研究アプローチを提示している。NSETによると、今回の報告書はあくまでも各研究分野の研究ニーズを確認するものであって、@研究分野の優先順位設定;ANNIの現行EHS研究ポートフォリオの詳細な評価;BNNIのEHS研究を優先ニーズと比較する「ギャップ分析」の実施;C優先事項に対応するNNI参加機関の研究プログラムの調整と促進;D進捗状況の定期的見直しプロセス、および、研究ニーズや優先事項の更新プロセスの設定は次のステップで行われることになるという。ここでは、5つの研究分野の研究・情報ニーズと実行可能な今後の研究アプローチについて概説する。

1. 研究機器、測定学、および、分析方法

(1) 研究および情報ニーズ

  • ナノ材料を、大きさ・組成・形態によって確認・分類する実用的なアプローチの策定
  • 大気、水、土壌、細胞、臓器といった生体マトリクス、および、環境や職場におけるナノ材料検出方法の開発
  • ナノ材料の不均一性(heterogeneity)の理解
  • 材料の純度算定方法の開発
  • 粒子の大きさや粒度分布のアセスメントを画一化する方法の策定
  • ナノ材料の形状、構造、表面積を判定する為の方法と規格化されたツールの開発
  • 人造ナノ材料、および、その利用方法の目録策定

(2) 今後の研究アプローチ

  • ナノ材料の専門用語や命名法(nomenclature)の国際的に認知されたシステムの確立に貢献する研究への寄与
  • ナノ材料の特性を研究する産官学参加の国家プログラムを設定
  • ナノ材料の科学的・物理的特性を検出・特定・測定する為の基準物質を開発
  • ナノ材料の特性を明らかにする研究所の認定プログラムを設置
  • 職場におけるナノ材料被ばくの判定に必要なサンプリング法、および、生体のナノ材料被ばくを示すバイオマーカーの決定に必要なサンプリング法の国家承認の標準プロトコルを策定
  • 大気・水・土壌・食物・生物相(biota)等の環境媒体におけるナノ材料の濃度判定に必要なサンプリング法の国家承認基準プロトコルを策定

2. ナノ材料とヒトの健康

(1) 研究および情報ニーズ

  • 経口(oral)、吸引(inhalational)、経皮(dermal)、経静脈(intravenous)といった多様な被ばくルートからのナノ材料の体内吸収および体内移動の理解
  • 生体反応を引き起こすナノ材料の特性の理解
  • 骨修復や神経再生等のために体内に埋め込まれるナノ材料の長期的影響の理解
  • ナノ材料被ばくに対するin vivo反応を予測するため、適切なin vitro試験手法とin vivo試験手法の確認および開発
  • ナノ材料の生物学的データを、生理学に基づく毒性薬動力学(pharmacokinetic)モデルに統合
  • 人造ナノ材料の特性と作用の総合データベースの策定
  • ナノ材料への被ばくを数量化・特定化する方法の開発、および、生体マトリクス(体内および対外)においてナノ材料を数量化・特定化する方法の開発

(2) 将来の研究アプローチ

  • 細胞や組織内の粒子の大きさや数量を測定するツールの開発
  • ナノ材料の物理的特性と臓器・細胞・分子レベルでの被ばく・吸収との関係を理解する上で重要な、物理科学と生物科学の専門知識を融合する学際的研究チームを結成
     

3. ナノ材料と環境

(1) 研究および情報ニーズ

  • ナノ材料やその変換生成物が環境に影響を与える可能性を評価および研究
  • 現行の生態影響検査スキームや検査プロトコルの評価、および、検査スキームや検査プロトコルがナノ材料やその副産物の環境影響を実験するスキームとして適切か否かの判定
  • 水生生物の被ばく可能性の理解
  • ナノ材料の環境放出量を測定・分析する標準サンプリング法(standardized sampling method)の開発
  • 環境内におけるナノ材料の移動に影響をあたえる要素の確認
  • 異なる環境条件におけるナノ材料の変容の理解

(2) 将来の研究アプローチ

  • ミクロ生態系(microcosm)やメソ生態系(mesocosm)といったモデル・エコシステムの研究
  • 地上・水中の環境レセプターのADME(吸収・分布・代謝・除外)パラメーター、構造活性相関(structure activity relationship)および作用形態(mode of action)の究明
  • 異なる環境にいる生体レセプターのナノ材料被ばくに起因する影響を査定するため、化学者や物質科学者、地球化学者や微生物学者等から成る学際的研究チームを結成
  • 研究データの正当性確認、および、その成果利用を助長するため、産官学研究者間を調整

4. 衛生および環境調査

(1) 研究および情報ニーズ

  • 従業員の怪我や病気や臨床所見といった健康情報、および、被ばく情報の収集
  • ナノ材料への被ばくを判定する職場のプロセスと要素(factor)の理解
  • 現行の業務災害や職業病報告プログラムの分析および査定
  • 一般住民が産業プロセスや消費財、その他のナノ材料含有製品から受けるナノ材料被ばくの数量化、および、現行の怪我・病気報告プログラムの分析および査定
  • 人造ナノ材料に被ばくする可能性の高いグループの確認、および、高リスクグループから怪我や病気や臨床所見といった健康情報や被ばく情報を収集
  • 環境マトリクスにおけるナノ材料被ばく量測定方法の開発
  • 環境モニタリング・プロトコルの設定
  • 環境暴露を最も引き起こしそうなナノ材料放出シナリオの査定

(2) 将来の研究アプローチ

  • 個々の会社や企業団体が自主的に業務災害や職業病を報告する…報告義務の閾値を引き下げ、より詳細な報告内容を求める…システムを設置
  • 業務内容や立地場所、被ばくや健康状態に関する記録に基づき、職業性被ばくレジストリ(Occupational exposure registry)を構築
  • 上記の報告プログラムに類似する、職場以外での被ばくに関する怪我や病気の報告プログラムを設置
  • ナノ材料の影響を受けた地域に居住して被ばくの被害を受けた人々に、環境性被ばくレジストリ(Environmental exposure registry)への登録を奨励
  • ナノ材料の研究・開発・製造を行う施設が自主的に放出物のモニタリングを実施
  • 大気中、または、地表水や地下水に含まれる人造ナノ材料の濃度や動向をモニタリングする方法を開発

5. リスク管理方法

(1) 研究および情報ニーズ

  • リスクが最大のナノ材料を確認する上で、現行のリスク管理アプローチが適切かつ有効であるかの査定
  • 人造ナノ材料の大気放出を抑制するプロセス設計や工学的制御システムの開発に伴なう独特な課題の理解
  • ナノ材料に対する個人用保護具(PPE)の効果の理解
  • 捕獲(capture)・回生(regenerate)・自己洗浄能力を改良したフィルターおよび繊維の開発
  • 「グリーン設計(green design)」原則によって環境影響を最小化する製造工程の理解と開発
  • ナノ材料に独特の漏洩緩和技術やリスク管理手順の開発
  • 運輸省(DOT)の有害物質という定義に当てはまるナノ材料に関し、その特性を完全に明らかにし、適切なパッケージング要件を確認。また、特定の輸送手段を使用する際の制限や規制の必要性を判定
  • 人造ナノ材料が製品に最終的にどのように利用…(例)液体か粉末か固体か、使用方法、分散の可能性、等…されているのかを理解
  • 製品のライフサイクルにおいて、EHSリスクの可能性が最も高い段階の判定
  • 現行のリスク通達方法が、既知のリスクや現在利用可能な情報から予想されるリスクに対応する上で十分か否かの評価
  • 必要に応じて、被ばくした可能性のある地域の全住民に、リスクまたは安全情報を通達する効果的な方法を策定

(2) 将来の研究アプローチ

  • ナノ粒子被ばくに対するPPEや呼吸マスクの有効性を決定する試験プロトコルを査定し、必要に応じてプロトコルを新たに策定
  • 漏洩の抑制・緩和戦略を策定するための短期・長期アプローチを検討
  • 職業上のナノ材料被ばくリスクを削減する工学的制御システムの基準、および、選定・設計・実験プロセスの基準を策定。有害な成分や化学物質の使用を避けた製造プロセスの設計
  • 排ガスや廃水から、特に有害と考えられる種類や大きさの人造ナノ材料を除去または処分する技術の研究。長期的には、大きさ・構造・反応度といったナノ材料の特性に結びつく代替技術の研究
  • ライフサイクル分析(LCA)手法の改善を目的とする研究に着手。LCA専門家や政策策定者、ナノ材料製造業者や科学者、および、エンジニアの共同作業によって、収集データの質と量が適切であることを保証
  • ライフサイクルの異なる段階において、在来型複合物と人造ナノ材料複合物の作用を比較研究
  • ナノ材料製造施設や川下(downstream)ユーザーから、被ばく関連データ情報を収集し、情報を流布する既存方法を査定


NSETの報告書 『人造ナノ材料の為の環境・衛生・安全面での研究ニーズ』は、下院科学委員会が2006年9月21日に、ナノテクノロジーの環境・安全面影響に関する研究に対する連邦政府の資金充当、優先順序づけ、調整が十分であるか否かを検討するために開催した公聴会に時を合わせて発表された。同報告書は2006年春に発表される予定(注:4)であったが、その作成と発表は大幅に遅れ、実質的には、NSETのNEHI作業部会が下院科学委員会のSherwood Boehlert委員長(共和党、ニューヨーク州)の決めた公聴会開催日に間に合わせる形で編纂・発表されたと言っても過言ではない。

9月21日の公聴会でBoehlert委員長とBart Gordon下院議員(民主党、テネシー州)は、連邦政府の努力が十分に調整されておらず、総体的な研究戦略(research game plan)を欠いており、予算も不十分であるという懸念を表明し、また、この報告書が単なる研究ニーズのリストに過ぎず、優先順序が十分に設定されていないことを批判した。Boehlert委員長は、公聴会に出席した連邦政府の証言者達(注:5)が多忙な仕事の合間をぬってNEHI作業部会に参加していることを何度も称賛したものの、その一方で、ナノテクノロジーのEHS研究が緊急を要する課題として扱われているようには思えないと指摘した。Boehlert委員長は、ナノテクノロジーEHS研究についての省庁間調整だけを担当する調整官職の新設が必要ではないかという質問を繰り返したが、政府代表者等は既存体制が適切であるという回答に終始した。

2006年10月10日には食品医薬品局(FDA)が、FDA管轄下に入るナノ材料含有製品について公開会合を開催する。FDAでは公開会合に先立って一般からのコメントを9月20日まで受け付けていた。NSETの報告書が発表されたのはコメント受付け終了後ではあるものの、FDA公開会合の席で、下院科学委員会で指摘されたナノテクノロジーのEHS研究ニーズ調整に関する問題点や報告書の不足部分が取り上げられるかどうか、興味ぶかいところである。


注釈:

1:化学産業と半導体産業が国家ナノテクノロジー・イニシアティブ(National Nanotechnology Initiative = NNI)参加省庁と協議して作成した『ナノテクノロジー研究ニーズ提言(Joint NNI-Chemical Industry Consultative Board for Advancing Nanotechnology and Semiconductor Research Council CWG5: Nanotechnology Research Needs Recommendations)』、環境保護庁(EPA)作成の『ナノテクノロジー白書(Nanotechnology White Paper)』、厚生省(HHS)の国立労働安全衛生研究所(NIOSH)作成の『ナノテクノロジー安全利用への道(Approaches to Safe Nanotechnology: An Information Exchange with NIOSH)』、および、英国の王立協会と王立工学アカデミー(Royal) Society/Royal Academy of Engineering)が作成した『ナノサイエンスとナノテクノロジー:機会と不確実性(Nanoscience and Nanotechnologies: Opportunities and Uncertainties)』が、特筆に値する。
2:NEHI作業部会はナノテクノロジーのリスポンシブルな研究・開発・応用・監視に必要なリサーチその他活動の確認、優先順位付け、および、その実施を助長することを目的として2003年に非公式に設置され、2005年に正式発足したグループで、@科学技術政策局(OSTP);A行政管理予算局(OMB);B消費者製品安全委員会(CPSC);C米農務省(USDA)の共同研究教育普及局(CSREES);D国防省(DOD);Eエネルギー省(DOE);F国務省(DOS);G運輸省(DOT);H環境保護庁(EPA);I食品医薬品局(FDA);J国際貿易委員会(ITC);K米航空宇宙局(NASA);L厚生省(HHS)国立衛生研究所(NIH);MHHS国立労働安全衛生研究所(NIOSH);N商務省(DOC)国立標準規格技術研究所(NIST);O全米ナノテクノロジー調整局(NNCO);P全米科学財団(NSF);Q職業安全衛生管理局(OSHA);R内務省の米国地質調査局(USGS)の代表者で構成され、FDA代表のNorris Alderson博士が議長を務めている。
3:意図的に設計・造成されたナノ材料を指す。同報告書では、自然発生するナノ材料や、砂漠の砂塵や貝殻の磨耗(shell abrasion)に起因する粉塵のような物理過程や生物過程で生じたナノ材料、および、偶発的副産物として生じたナノ材料のリスク評価は取り上げていない。
4:下院科学委員会が約10ヶ月前の2005年11月17日に開催した「ナノテクノロジーの環境・安全面への影響:必要なリサーチは何か?」という公聴会の席で、証言を行ったNNI参加省庁の代表が約束したもの。
5:FDAの科学担当副局長でNEHI作業部会の議長を務めるNorris Alderson博士、NSFのArden Bement総裁、EPAのWilliam Farland研究開発担当次官補、DOEナノ化学電子散乱センター(Nanoscale Science and Electron Scattering Center)のプログラムマネジャーであるAltaf Carim博士。


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